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2016.09.02 オランダ政府観光局・中川局長によるプレスツアーレポート

展覧会開催に伴いプレスツアーが開催されました。本展公式サイトのためにプレスツアーをご案内頂いたオランダ政府観光局・中川局長に寄稿を頂きました。

ゴッホの足跡を辿る 南仏~オランダ / オランダ政府観光局日本支局局長 中川晴恵

通常、ゴッホの「足跡を辿る」となると、生まれ故郷のオランダ・ズンデルトから始まり、フランスのオーヴェール・シュル・オワーズで終わるのが本来の旅の姿でしょう。しかし、実際の旅行日程を決める際は、「一筆書き」、そして、出発地点から遠い場所から始めるのが基本です。今回は、アムステルダム経由で空路、アルルに入り(マルセイユ空港から車で約1時間)オランダを目指して鉄道で北上するルートを選びました。

今回の旅で鉄道は重要なキーワード。ゴッホが生きた19世紀後半のヨーロッパは、急速に鉄道網が発達していった時代です。それによりゴッホは、故郷オランダを出て、ヨーロッパ各地を移動出来たわけです。また、それに伴い、郵便事情も発達しゴッホもせっせと弟テオに手紙を送る事が出来ました。

希望と色彩に満ち溢れたアルル

初夏の抜けるような青い空の下訪れたアルルは、陽気なプロヴァンスの地元民とヨーロッパ中から訪れたヴァカンス客とで賑わっていました。ゴッホがこの地を訪れたのは2月。本来はマルセイユを目指していたそうですが、南仏にしては珍しい雪の影響によりアルルで足止めになり、そのまま滞在することになったそうです。 ゴッホが憧れた色彩は日本の浮世絵の世界、そして、自然の中の原色です。パリの灰色の空とは対照的な、青い空と彩り豊かな花や樹木にゴッホの創作意欲は刺激されたのでしょう。

ゴッホお気に入りのスポットだったアリスカン(古代ローマ時代の墓地跡)

「黄色い家」が建っていた場所。1945年、ドイツ軍の退路を断つため近くのローヌ川の橋を連合軍が爆撃した際に一緒に破壊された。

耳切り事件を起こした後、ゴッホが入院していた病院の庭。一時は駐車場などになっていたが、ゴッホの絵と手紙を元に、樹木や花の色や種類に至るまで忠実に再現された。

モンマジュール修道院の塔からアルル市街を望む。

渦巻く苦悩、サン=レミ

ゴッホの入院していた精神病院は、現在一部が一般公開されていて、当時の病室の様子も再現されています。病院のまわりは、オリーブ畑が広がり遠くにはアルピーユ山の岩山がそびえたっています。一般公開されている部分とは隔離されていますが、精神病院は現在も病院として機能しており、軽度の入院患者さんによるアートセラピーなども行われています。この日もミストラルという北からの風が強く吹いていましたが、「ゴッホがサン=レミで描いた絵にはミストラル(風)が描かれている。」と言ったガイドさんの言葉が印象的でした。

アルルとサン=レミの間に広がるひまわり畑

精神病院近くのオリーブ畑と糸杉

精神病院のラベンダー畑

プロヴァンスのミストラル

喧騒と堕落の日々、パリ

オランダの田舎から出てきたゴッホにとってのパリは大都会。多くの画家が暮らしたモンマルトルに弟のテオを頼って転がり込んだヴィンセントは、当時の新進気鋭の画家たちとの交流を通じて、点描、筆致、色使いなど様々な影響を受けながら試行錯誤を繰り返します。一方、私生活は荒れ放題で、カフェに入り浸る毎日です。パリのどんよりした灰色の空や、都会の喧騒はゴッホには馴染めなかったのでしょう。

もともと駅舎として建てられたオルセー美術館では、《星降る夜》、《オーヴェール・シュル・オワーズの教会》などの作品を所蔵。

モンマルトルのタンギー爺さんの店は、現在はギャラリーに。

パリを見下ろす丘の上のカフェには、ゴッホを始めロートレック、ドガ、ルノワール、ピサロなどここに通った画家たちの名前を記したプレートが掛かっていた。

終焉の地、オーヴェール・シュル・オワーズ

パリから鉄道で約1時間。オワーズ川の畔に点在するいくつかの小さな村のひとつが、オーヴェール・シュル・オワーズです。昔からパリの上流階級の人々が週末を過ごす別荘を構えた場所で、今でも村人の多くはパリやシャルル・ドゴール空港などにお勤めの方が多いと聞きました。美しい花が咲き誇る初夏はゴッホがここで過ごした季節と同じ。村のあちこちにある花壇は、村の小学生たちが手入れをしているそうです。美しい村ですが、ゴッホが死ぬ前の最後の数カ月を過ごした濃密な時間が、そのまま止まっているかのような、独特な雰囲気のある村でした。

ゴッホが息を引き取ったラヴー亭。今でも一階がレストランになっている。

ゴッホ兄弟の墓石。周囲のお墓に比べて簡素なのは遺族の意向。青く茂る蔦は友情の証。

お墓の近くに広がる麦畑。

ゴッホが自殺を図ったとされる森の中。正確な場所は今でも分かっていない。

ゴッホが生涯追い続けた原風景、ズンデルト

オランダのズンデルトはゴッホが生まれ、幼少期を過ごしたベルギーとの国境に近い村です。オーヴェール・シュル・オワーズでゴッホが描いた市庁舎とそっくりの市庁舎がゴッホの生家の反対側に今でも見られます。ゴッホの生家跡は、当時の井戸位しか今では残っていませんが、お父さんが牧師として働いていた教会や死産だったフィンセントのお兄さんの眠るお墓など、ゴッホ一家の暮らしぶりを垣間見ることが出来ます。ズンデルトはダリアの一大産地で、9月の第一日曜日には世界最大のダリアのパレードが行われます。日持ちがしてバラよりも安価なダリアは「農民のバラ」とも呼ばれ、ひまわりと共に、ゴッホの作品にもよく登場しています。

ゴッホの生家跡に井戸。「ゴッホの水」として売り出し中。(但し、飲料不可….)

オーヴェール・シュル・オワーズで見た市庁舎とそっくりのズンデルトの市庁舎。

ズンデルト郊外のダリア畑。

画家を目指し両親の家に居候、ニューネン

素描などを含むゴッホの2200点あまりの作品の内、551点がニューネンで描かれています。本格的に画家を目指し、両親の住む家の洗濯場にアトリエを構えたニューネン時代。初期の大作《馬鈴薯を食べる人々》を描いたのがこの村です。この小さな村で、異性問題でもめ、家族とも軋轢を起こしてアントワープに旅立った後、フィンセントがオランダの地を踏むことは生涯ありませんでした。ニューネンは世界的な電機メーカーのフィリップスが本拠地としていたアイントホーフェンの郊外にあります。そのせいか、意外にハイテクで、村全体がWiFiフリー。ちょうど、夏休みが始まったばかりの初夏、多くのこども達が村の広場でポケモンGOに興じていました。

お父さんが牧師を務めていた、100人程で一杯になる小さなニューネンの教会。ゴッホは腰を怪我して教会に行けなくなったお母さんの為に、この教会の絵を描いた。

ゴッホの森、クレラー・ミューラー美術館

オランダの東部、アムステルダムから鉄道とバスを乗り継いで2時間弱。5500ヘクタールのデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園内にあるのが、クレラー・ミューラー美術館です。自然と芸術をこよなく愛した大富豪夫人ヘレン・クレラー・ミューラーの個人コレクションから始まった美術館で、彼女の審美眼で集めたゴッホの作品の中には、有名な《夜のカフェテラス》、《ラングロア橋》、《オーギュスティーヌ・ルーラン(子守女)》などがあります。ここは、自然溢れるカフェテラスでゆっくりお食事をして、無料の貸自転車で園内をサイクリングするのがお勧めです。晩夏から初秋にかけては一面に広がるヒース畑、10月中旬には美しい黄葉が見られます。

国立公園内は、サイクリングをして巡るのがお勧め。

デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園は元々、クレラー・ミューラー夫妻の狩場だった場所。美術館から約4kmの場所に狩猟用として使っていたセント・ヘルベスタスの館がある。アムステルダム派建築の巨匠ベルラーヘの設計。

クレラー・ミューラー美術館の展示作品の額縁はとてもシンプル。クレラー・ミューラー夫人の好みが反映されているという。

世界最大のゴッホコレクション、ゴッホ美術館

今回の旅の集大成が、オランダの首都アムステルダムのミュージアム広場にあるゴッホ美術館。改装工事を終えたばかりの新館エントランスも新しくなり、名物だった入場待ちの行列もだいぶ緩和されました。展示室も一新され、今までの年代順の展示から、ゴッホの内面をより深く知ることが出来る内容になりました。ちょうど、新館で開催されていた特別展「狂気の淵で」では、ゴッホが自殺を図ったピストルの展示もされていて、実際、オーヴェール・シュル・オワーズの森の中のその現場を歩き、物語がひとつに繋がった感じがしました。

黒川紀章設計の新館。

本館一階の展示室。自画像がメインに展示されている。

最後に

ゴッホが暮らしたフランスやオランダの村では、ゴッホを観光資源として取り入れているところが多く、ゴッホが絵を描いたスポットの標識や、絵のコピーと共に解説が添えられているのが有難かったです。また、町の観光局に立ち寄ればゴッホの足跡を辿る町歩き地図も用意されています。健脚だったゴッホに倣い、歩いて巡ってみるといいでしょう。

アルルのゴッホ標識。ゴッホが描いた方角が記されている。

ローヌ川の畔の《星降る夜》のコピーとそれと関連するゴッホの書簡集からの抜粋が記された看板。

ヴィンセント・ファン・ゴッホの死後126年が経ち、彼の絵に対する評価も生前から、がらりと変わりました。ゴッホの足跡を辿ることにより彼が探求したかったテーマ、野心、葛藤、絶望などを垣間見ることが出来た旅でした。ゴッホの書簡集などにより、様々な研究もしつくされているゴッホ。しかしながら、彼の送った人生、人々を感動させる作品の数々、そして何故自殺を図ったのか、など、興味は尽きません。個人的には彼があと10年生きていたらどんな作品を描いただろうか、また、ニューネンで結婚していたらどんな人生を送っただろうかなどと徒然考えながら旅を終えました。

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